【芝山巌事件 130年記念 六士先生•慰霊顕彰の集い】



元大津高校校長であり、平井数馬顕彰会会長
である白濱裕 先生にお声がけいただき、
【芝山巌事件 130年記念
六士先生•慰霊顕彰の集い】に参加。
六士先生が祀られる靖国神社に
昇殿参拝させていただきました。

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六士先生とは
日本統治時代の台湾に設立された学校、
芝山巌学堂(しざんがんがくどう)で台湾の
教育の礎をつくった日本人教師6人ですが、
台湾で抗日ゲリラにより殺害されました。
その6人とは
楫取道明(山口県、38歳、吉田松陰の甥)
関口長太郎(愛知県、37歳)
中島長吉(群馬県、25歳)
桂金太郎(東京府、27歳)
井原順之助(山口県、23歳)
平井数馬(熊本県、17歳)

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そのうちの一人が熊本出身の
平井数馬先生です。
済々黌を卒業し、わずか16歳で
高等文官試験に合格。1895年に
台湾総督府の通訳官として台湾に渡ります。
平井数馬先生は武道の猛者であり
語学の天才であったと言われていますが
先日の私の議会質問でも取り上げさせて
いただきました🔻
【郷土愛を育む教育の推進について 】
※一部抜粋
もう一人忘れてはならないのが、平井数馬です。彼は明治11年に松橋町に生まれ、済々黌を卒業後、わずか17歳で日本統治下の台湾に渡り、現地で初の学校「芝山巌学堂」で教鞭をとりました。
台湾語の教材づくりや日台辞典の編纂にも尽力し、「現地に寄り添う教育」を実践。しかし、志半ばで現地の抗日ゲリラにより命を落としました。
その志は台湾の人々の心に深く刻まれ、彼を含む6人の教師は今も「六氏先生」として敬われています。
その6人亡き後も、その遺志を継ごうと、この熊本からも多くの方々が台湾に渡り、台湾における教員のほぼ一割を熊本県出身者で占めたと言われています。
その結果、わずか数%だった台湾の就学率は、40年後には70%を超えるまでに至りました。
台湾の近代教育の礎は平井数馬をはじめとする、県出身者の血と汗の努力によって築かれたと言っても過言ではありません。
今の日台関係もこうした先人が命をかけて築いてきた信頼の絆が背景にあることを、子どもたちだけでなく私たち大人も学ぶことで、真の「イコール・パートナーシップ」が実現するのではないでしょうか。
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我が国が統治していたとはいえ、
他の民族の教育の礎を、まさに命を賭して
築いた人々の覚悟は、現代の私たちに
簡単に真似できるものではありません。
しかし、六士先生の功績や精神を僅かでも
学ぶことで、日本人としての誇りを
取り戻すことに繋がると感じています。
そのためにも郷土の偉人である
平井数馬先生のご功績を、これからも
熊本で拡めていけたらと思います。
(偶然にも参政党の伊藤まさよし
岡崎市議も参加されていました。
六士先生のひとり関口長太郎先生のご出身が
愛知県西尾市で、愛知でも有志の方々を
中心に顕彰に取り組まれているようです。)

